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伊丹山本線というより五合橋線と言った方が、分かりやすいかもしれません。
宝塚から尼崎へ抜ける南北の道として交通量も多く、生活道路として自転車や歩行者の利用も多い道です。にもかかわらず一車線でかつ歩道が狭くて、車・自転車・歩行者ともに不便でした。
歩道が狭いのは、昔にできたままの姿の道路だったこと、街路樹が歩道に植えられているのですが、年々大きく育ってしまったこと、都市化の影響で歩道上に電信柱が建てられたことが考えられます。
街路樹は年々大きく育ち、植樹升を持ち上げ舗装をも持ち上げるので、歩道はでこぼこ。車いすやベビーカー、歩行に不自由な方の杖がひっかかったりと、危ない目に遭われるのも何回もみたこともありました。県の道路担当の方が掃除や調査に来るたびに、改善をお願いしていたのですがなかなか取り組んでいただけませんでした。でも、やっと改良されることになって喜んでいます。ただ、今回の工事区間は、常岡病院から斎場までの数百メートル。説明に来られた県の職員さんは、今年度予算はここだけになりますが、順次拡大していきます、とのこと。
同じ五合橋線でも、尼崎市域は何年も前に歩道のリニューアルがなされました。伊丹市が遅れた理由としては、緑比率(市内にどれだけ緑があるかの割合)にこだわって、街路樹を抜くことを嫌がったとか、県道整備に伊丹市が負担金の関係で及び腰だったとか。噂で聞いた話ですから、そんなことは無いと思います。ただただ、改良されることがうれしいです。
五合橋線を北上すると、桜ケ丘の交差点がありますが、ここは最も歩道の幅が狭いところ。歩道の真ん中に電信柱が鎮座しているので、店舗と電信柱の間は、わずか60cm、ベビーカーや車いすはいったん車道に出なければなりません。
ここにも、早く改良の順番が回ってくることを願っています。
号泣議員で名を馳せた野々村竜太郎氏の辞職と12月の衆議院議員選挙に立候補した大前春代氏の失職に伴って、欠員が2となった西宮市選出の県議会議員補欠選挙の結果が出ました。
立候補者は5人、自民党の吉岡氏、維新の中野氏、民主の奥野氏(女性)、無所属の森池氏、無所属の酒井氏。当選は、自民の吉岡氏と維新の中野氏、40歳と32歳という、今が旬の年齢の男性お二人でした。
今回の選挙は、全国的に批判を浴びた野々村氏の政務調査費の違法支出が発端だったはず。野々村氏以外にも切手を大量に買ったり、領収書が無かったりと、庶民感覚ではありえない政務調査費の使い方が問題になりました。
結果は、それを指摘した西宮市民オンブズの森池氏は4位で落選。政務調査費のことは、もうどうでもよくなったような結果でした。
それ以上に驚いたのが、民主党公認で日教組の支持があった奥野氏が落選したこと。連合の力、女性の票が動かなかったのかなあ、とびっくりです。
4月には統一地方選挙が行われますが、市民の皆さんは何を見て投票されるのでしょうか?
三船美佳さんと高橋ジョージさんの離婚が芸能ニュースを賑わしています。その理由が「モラハラ」だとか。
モラハラとは、モラルハラスメントの略で、(自分なりの)道徳観を振りかざして相手を押さえつけようとするもので、精神的な暴力と言われます。
夫婦間では、DVと言われるものがあります。DVには、身体的な暴力、言葉による暴力、生活費を渡さない、行動を制限する、セックスを強要する、などいろいろなパターンがあります。
このニュースを聞いた時、これはDVだな、と思いましたが、世間一般にはモラハラだとされています。では、DVとモラハラとどう違うのでしょうか?
普通にDVと聞いた場合にはまず、暴力が一番に思い浮かびます。殴る、蹴る、首を絞めるなどなど。しかし、DVの多くは、身体的な暴力に加えて、「誰に喰わせてもらってるんだ」とか「生きている資格がない」とか「お前のためにこんなことをしなければならないんだ」などという言葉の暴力も伴います。そして、DVには、DVのサイクルというものがあって、暴力を振るった後には、別人のように優しくなって殴ったことなどを謝罪し、お前の事を愛しているからだと言います。暴力を振るわれた当時者は、自分が悪かったのだ、私しか相手を理解してあげられない、愛されているから、と逃げることをしなくなります。
今回のおふたりの間には身体的な暴力が無かったようですから、「精神的な暴力」として「モラハラ」としたのではないでしょうか?
DVは、主に夫婦間、恋人間に起きるものですが、モラハラは上司と部下、親と子、夫婦などなど、力関係が生じる場面に発生します。
私は、このお二人の間には、DVがあったと思います。それを、メディアが「モラハラ」とすることで、加害者の責任をことさら軽くしているような気がします。
年の離れた女性と結婚する話を聞くと、源氏物語の「紫の上」を思い出します。光源氏が、彼女の美しさゆえに誘拐し、自分の好みの女性に育て上げて妻にする、というもの。女性とて人間、年齢が進むにつれ育っていくもの、それが自分の好みとは違うことだってあるはず。「ありのまま」の彼女を受け入れずに、自分の価値観だけを押しつける、それは「愛」ではなく、「支配」でしかないと思います。
今日は選挙ポスター用の写真を撮ってもらいました。
友人のプロカメラマンさんにお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。昆陽池公園での撮影会。風が冷たくて、冷たくて。スタジオで撮ってもらう人がほとんどですが、カメラマンさんの「自然な感じがいい」という言葉を信頼します。
選挙はミスコンでは無いのだから、ポスターの写真はとりあえず顔が分かればいいのだけれど・・・
55年もこの顔で生きてはいますが、写真撮影の度に、「お母さん、もっと美人に産んでほしかったなあ」と思ってしまいます。
1月16日の朝刊に、「飛鳥、未知の大古墳か?」という記事を見つけ、さっそく18日に開催された現地説明会に参加しました。
(朝10時からのところを繰り上げて9時からスタートした説明会、午前中にすでに5000人を超えた。私のような年配の人がほとんど)
発見場所は、奈良県明日香村川原の小山田(こやまだ)遺跡です。ここは、奈良県立明日香養護学校(特別支援学校、という呼び方は使っていないようです)が建っている敷地で、校舎を建て替えるのに、埋蔵文化財発掘調査をしたところ、今まで見たこともないような立派な(割堀(溝というかお堀)が出てきてしまった、のです。
小山田遺跡は、その存在は古くから知られていたようです(現地説明会によると)。明日香村文化財調査研究紀要‐創刊号(平成12年3月 明日香村教育委員会)には、「甘橿丘南麓へと延びる尾根を削平して、約80m四方の平坦面が形成されている。現地にはすでに養護学校が建設されており、遺構の検出は難しいが、「旦波國多貴評草上」と気された木簡が出土している(和田1991)。また、南の谷では東西道路と交差する南北道路が検出されており、小山田移籍への進入路と考えられる(明日香村1998)」という記述があります。木簡が出土したことで注目を浴びたけれども、発掘調査は難しいと考えられていた、というのがこれまでの研究結果だったのですね。それが養護学校の建て替えで発掘調査をしたところ、考えもしなかったような世紀の大発見となってしまった。
なぜ、こんなにも大規模な遺跡が調査もされなかったのか、もし養護学校の建設当時に発掘調査がなされていたら、石積みの割堀はほぼ完全な形で発見されたかもしれません。駐車場の係の人に、なぜ当時は発見されなかったんでしょうね、と尋ねると、当時は建設するときに発掘調査をしなければならないという決まりが無かった、とにかく必要な施設を建設するのが先だったということではないですかねえ、というお話をしてくれました。今は、1平方メートル以上の建設工事の際には、先だって埋蔵文化財があるかどうか発掘調査をしなければならない決まりになっているそうです。
(遺構の全長は見つかっている部分でも50メートル、全体はもっと大きいはず)
(石の無い土の部分は元の校舎の柱跡。立つ前はずらりと石積みが見られただろう)
さてさて、見学者の想像の翼は埋葬者は誰だったのか?というところへ飛んでいきます。平らな石積みが舒明天皇稜と同じ様式だから、舒明天皇(天智天皇のお父さん)の最初のお墓だろう、という人。いやいや、曽我氏の御殿があったところだから、曽我氏の墓ではないか、などなど。橿原考古学研究所では、その大きさ(曽我馬子が埋葬された墳墓である石舞台よりも大きいので、豪族以上の埋葬者の可能性が高い)や特別な様式から、舒明天皇が最初に埋葬された場所との見方を明らかにしています。
(復元予想図。左側の平らな石積みの上に墳墓が盛られていたのではないか、とする。今回見つかったのは、堀の底の部分になる)
明日香にはまだまだ知られていない日本の歴史が隠れているのですね。
1995年1月17日午前5時46分、震度7の巨大地震が阪神淡路地域を襲い、6434人の方が命を落とされました。今年は、地震発生から20年の節目の年に当たります。各地で追悼の集いが開かれましたが、私は、阪急伊丹駅前で開かれた、小さな集いに参加してきました。
阪急伊丹駅では、一階が崩壊し、駐在しておられた警察官の方が殉職されました。
つぶれた駅舎の復興には時間がかかり、新駅舎ができても人の流れは戻ってきていません。今回の追悼の集いは、お亡くなりになられた方々に追悼の真をささげ、阪急伊丹駅周辺の活気を取り戻す「西台復興祭」に取り組もうという地元の人たちの強い思いが込められたものでした。
大切な人たちの命を奪っただけではなく、いろいろな方面に影響を残した大震災でした。20年が経って、神戸をはじめ見た目には地震の爪痕は無くなったように感じますが、逆に20年の年月の流れが様々な問題を生じさせています。再開発ビルが建ったことによって昔ながらの商店街が無くなり、人の流れも変わってしまった。復興住宅は空家が増え、高齢化率が50%を超えている。
もし、地震が無かったら、もし復興計画がこんなんじゃなかったら、たら・ればの話をしても仕方がありません。今を生かされている私たちは、今できる精一杯の事をして、前を向いて進んでいかなければならない、そんなメッセージを「西台復活祭」に感じました。
新年なのに何だか暗いなあ、と思っていたら、シーリングライト(天井にくっついている電灯)の蛍光管が切れていました。
カバーを取ってみると、今までの太いものではなく、細い蛍光管が取り付けられています。新型の蛍光管だったらしいです。同じものを買い求めに駅前の電気店へGO!
こういう蛍光管を買いました。
これまでの蛍光管は、年末の掃除のときに電極が黒くなっていたら取り換え時期、つまり、1年間に1本は換えていたように思います。この蛍光管はライトを購入してから初めて取り替えるので、8年間くらい使っている計算になります。一日8時間として、8x365x8=23,360時間、誤差があるかもしれませんので、だいたい20,000時間くらいは使ったことになります。
価格は、これまでの蛍光灯の3~5倍くらいになっているかもしれませんが、いままでよりも明るいし、8倍長持ちするのなら、元はとれていると思います。
省エネ、長寿命ということで、LED導入に補助金が出たり、地方自治体やオフィスでこぞってLEDを利用するようになりました。その結果、価格も品質も随分安定してきましたね。真っ先に飛びついた人たちは、価格の高いものを買わされることになったかもしれません。
手持ちのライトには使えなかったり、サークルライトがまだあまり浸透していないために、価格が高かったりと、導入コストが意外にかかると思います。家庭では、古い照明器具を止めて、新しいスリムタイプの蛍光管を使ったライトを購入しても、それなりに省エネ、節約になるのではないかと思っています。ブームに押されることなく、慎重に導入を考えることも、賢い節約術ではないでしょうか?
昨日から何だかだるくって、熱っぽいので今日は仕事を早退しました。会社の決まりで、37.5度以上熱がある人は、強制早退&欠勤となります。インフルエンザや風邪のまん延を防ぐためです。
高熱ではないのですが、鼻水、くしゃみ、咳、微熱、体のだるさ・・・ これは、風邪?それともインフルエンザ?
ググってみますと、インフルエンザの場合は、発生期間がだいたい12月~3月頃、39度から40度の高熱が突然出る、全身倦怠と筋肉痛、食欲不振という症状が出るそうです。インフルエンザウィルスによるものなので、安静にしていれば自然と治る、というよりも、ちゃんと医療機関にかかって、タミフルやリレンザのような薬を処方してもらわなければなりません。
一方風邪は、くしゃみ、咳、喉の痛みという症状がインフルエンザと大きく違うところで、熱も38度くらいまでしか上がらいそうです(人によりますが)。風邪の場合は、これといった特効薬が無く、それこそ安静にして消化のいいものを食べて、回復を待つ!くらいしかできなさそうです。病院に行けば、インフルエンザかどうかの判定をしてくださいますが、風邪と決まれば、対処療法的なお薬を処方してくださいます。例えば、咳止め、喉の腫れを引く抗生物質、解熱剤、湿布薬、うがい薬、ビタミン剤、点鼻薬などなど。
昨年の社会保障制度改革推進会議の中で、風邪薬は保険適用外とする改革案が示されたのをご存知でしょうか?風邪はウィルスが原因で抗菌薬は効かない、薬を使っても使わなくても風邪の治療に影響ない、というのが医療の常識だそうです。病院にかかって、町の薬屋さんでも買える薬を保険適用で処方するのは、医療費の無駄ということで、現在は、ビタミン剤・うがい薬の単独処方は保険適用外となっています。
モチロン、しんどいのに病院に行くのを我慢する必要はありません。
日頃から、風邪をひかないように気を付け(手洗いうがいなど?)、風邪かな、と思ったら消化のよい栄養価の高いものを食べて、無理をせず早めに寝る、これに尽きるのかもしれません。
(風邪で伏せっておりましたので、まとめてアップしています)
今日は仕事始めです。いつもは夜勤なのですが、年始の2日間は定時出勤でした。ところが、社員さんの多くが12月の休日出勤の振り替えを1月5日に取っていいたため、全員揃わず何とも緊張感の無い仕事始めでした。
年末年始と8日間のお休みは、年賀状書きやら大掃除やらで普段通りにすごしてはいたものの、はやり仕事となると体がなかなか付いていきません。
1月30日までのお仕事なので、すでにカウントダウンに入っております。
年末も年始も無く、お仕事をなさっている方々、バスや電車はもとより、みんながお正月をお正月らしく過ごすために頑張ってくださる方々には、感謝です。
そして、仕事ができることにも感謝して、1年をスタートします!