1995年1月17日午前5時46分、震度7の巨大地震が阪神淡路地域を襲い、6434人の方が命を落とされました。今年は、地震発生から20年の節目の年に当たります。各地で追悼の集いが開かれましたが、私は、阪急伊丹駅前で開かれた、小さな集いに参加してきました。
阪急伊丹駅では、一階が崩壊し、駐在しておられた警察官の方が殉職されました。
つぶれた駅舎の復興には時間がかかり、新駅舎ができても人の流れは戻ってきていません。今回の追悼の集いは、お亡くなりになられた方々に追悼の真をささげ、阪急伊丹駅周辺の活気を取り戻す「西台復興祭」に取り組もうという地元の人たちの強い思いが込められたものでした。
大切な人たちの命を奪っただけではなく、いろいろな方面に影響を残した大震災でした。20年が経って、神戸をはじめ見た目には地震の爪痕は無くなったように感じますが、逆に20年の年月の流れが様々な問題を生じさせています。再開発ビルが建ったことによって昔ながらの商店街が無くなり、人の流れも変わってしまった。復興住宅は空家が増え、高齢化率が50%を超えている。
もし、地震が無かったら、もし復興計画がこんなんじゃなかったら、たら・ればの話をしても仕方がありません。今を生かされている私たちは、今できる精一杯の事をして、前を向いて進んでいかなければならない、そんなメッセージを「西台復活祭」に感じました。