初代桂文治とは、今の桂一門の祖であり、寄席落語の祖だそうです。
ウィキペディアによると、本名は「伊丹屋 惣兵衛」、亡くなったのは四日市市。
何となく縁を感じます。
シンポジウムの前に、少し早く四日市に降り立ちました。
お墓がある場所は、四日市から名古屋方面へ一駅乗った川原町です。
駅を降りて、東に10分ほど歩くと、左手に「宝光山 佛性院」があります。
(仏性院 南の門)
お墓を探すも、このお寺には墓地がありません。
ぐるりと回ると、東門にたどり着きました。
(仏性院 東の門)
東門は、東海道に面して短い参道があります。
(東海道、お餅屋さんを左に曲がると、南の門が見えます)
巡業先の四日市で倒れた文治は、この寺に葬られたのですが、
お墓が見つかったのは、墓地ではなくお寺の草むらだったと、後で知りました。
現在は、四日市市泊町と言うところに、顕彰碑とともに祀られているそうです。
泊町は私の実家の近く、お正月に帰省した時に、また訪ねてみることとします。
没後200年にあたる今年の11月、四日市では、
「初代文治ばなし 五番勝負!」という落語会が開催されるそう。