全国学力テストの結果を公表するしない、の記事を連日の紙面で目にします。伊丹市は、全国と比較してどうか、という公表はしていますが、学校ごとのランキング、他市との比較は出ていません。もし、県教委が市ごとのランキングを公表することになったら、どのような対応をするのしょうか?また、市民の皆さんは公表を歓迎するのでしょうか?
昨日の新聞には、ノーベル賞受賞者が今後日本から出るのか?といったコラムがありました。その中に、学力テストの結果に振り回されているような教育では期待できない、というコメントもありました。教育ってなんだ?ということが今まさに日本の社会で問われているのだと思います。
さて、伊丹市の学力テストの結果が全国平均を下回っていた、という結果と共に、その遠因(?)が「家庭でゲームやテレビに費やす時間が多く、家庭学習の習慣が無いことにある」と書かれていることに異論を唱えた方も多かったのではないでしょうか?モチロン私もその一人です。家庭の教育力が低下している、親がもっと教育に関心を持ち学校と協力しないと、いうのは、もっともな話です。それに反対はしません。でも、どこの家庭も自分の子どもの学力低下を期待して、「もっとテレビを見なさい、もっとゲームをしなさい」と言っているはずもありません。それぞれの家庭なりに子どもたちにいい成績を採ってきて欲しい、できれば学力を付けて欲しいと努力していることも事実です(程度の差こそあれ)。それを、一方的に家庭の責任にされてしまっては、じゃあ、義務教育は何のためにあるのですか!と言いたくなります。そもそも、義務教育とは、それぞれの家庭環境に左右されることなく、基本的な学力をすべての子どもたちにつけるために、国が責任を持ってすすめるものであったはずです。子どもの1日の時間の3分の1を過ごす学校で基礎学力がつかなければ、家庭においては何をかいわんや、という気がします。
教育においても格差が広がっているといいます。お金があって、親に時間があれば、塾にも行ける、親が付きっ切りで勉強を教えることができる(親が高学歴であればなおさら)、お金が無く、両親ともに働くことで精一杯なら、どうでしょう。本田由紀は「家庭教育の隘路」の著作の中で、「家庭の格差が教育の格差を生み出している。自分の力ではどうにもならない社会構造の中で生み出された家庭の格差から生じる教育の格差を、さらに家庭の責任(あるいは自己責任)として差し戻し、ことさら親を追い詰めるのではなく、社会として、制度や施策としてどう解決していくか」と述べています。
家庭として親として地域として協力すべきことはしていけばいいと思いますが、学力をつける場所は学校以外にはないと私は考えます。そして、学校現場の現状と教師の窮状を把握し、必要なフォローをしていくべきだと思っています。