前回のブログで、軽はずみな書き込みをしてしまったことを、お詫びいたします。
アップし終えてから、深夜に帰宅した娘より駅前の被害を聞き、翌日は桜ケ丘在住の弟より当時の様子を聞き、大変な被害が出たことを知りました。twitterには、刻刻と変化する阪急伊丹駅の浸水の状況もアップされていました。
伊丹市は、南北に緩やかに傾斜がついていて、最も高いところで標高45メートル、最も低いところで6mメートルです。幹線道路は南北に通っていて、今回浸水被害があった、県道川西尼崎港線(産業道路)や昆陽米谷線、山本伊丹線も南北道路です。
降った雨は、側溝のキャパをはるかに超え、溢れた雨水は幹線道路だけでなく、住宅街の南北に走る生活道路を川と変えて、北から南へと流れました。国道171号線から阪急伊丹駅までの間の住宅地では特にひどかったようで、知り合いのカーディーラーは、その地域で浸水被害で動かなくなった車を午前中だけで6台も引き取りに行ったと話してくれました。
1994年9月6日にも伊丹市は豪雨に見舞われています。当時の資料によると、時間最大降雨量が107.5mm 、4時間で約400mmの雨が降りました。阪急伊丹駅周辺一帯が水に浸かり、伊丹空港では、滑走路から地下の配電盤室に雨水が流れ込み、空港が麻痺したことは、記憶に新しいことです。
川の氾濫ではなく、排水路や下水管から水が溢れて浸水することを内水洪水と言います。1994年の被害を受け、数百年に1度の豪雨にも対応できるように、と「金岡貯留施設」が40数億円を投じて整備され、平成13年3月に完成しています。駅周辺の水没が一部であったことをみれば、この施設は十分に役目を果たしてくれたことと思います。
ただ、当日テレビを付けていなかった私は、何が起きているかも全く知らず、特別警戒情報や避難勧告も見聞きすることはありませんでした。つい先日も大阪市で地震と津波を知らせる警報訓練がありましたが、多分伊丹市も同様のシステムを持っていると思います。その晩、私の携帯電話は鳴りませんでした。システムが機能しなかったのでしょうか?それとも警報などは出していなかったのでしょうか?また、翌日のテレビのニュースでも、池田市の被害状況は床上浸水何軒、床下浸水何軒と報道されていましたが、伊丹市のそれはありませんでした。どうなっていたのでしょうか?
現在、9月議会が開会中ですので、どなたかの議員さんが質問してくださるといいなあ。