伊丹市には、かつて「大阪国際空港撤去都市宣言」がありました。昭和39年6月に伊丹空港にジェット機が就航し、その騒音と空港が人口密集地域にあることで安全性が担保されないことが、市民生活を脅かすということで、調停団を結成され、市を挙げて撤去に取り組んだ時代がありました。
伊丹市民の激しい運動を受け、国は関西空港を建設しましたが、関西経済圏のためには、伊丹空港を無くすことはできないと、平成2年「存続協定」を持ちかけ、伊丹市は苦渋の選択としてそれを受け入れました。航空機事故の危険性は100%回避されたわけではありませんでしたが、低騒音の航空機の開発と騒音地区の移転などが進んだことで、やむなくのことだったと聞きます(当時、私は伊丹市民ではありませんでしたので、騒音の激しさも運動の激しさも存じ上げないのです)。
平成19年3月、「撤去宣言」があるのに「存続協定」を結んでいるのは、実情にそぐわない、との理由から、「大阪国際空港と共生する都市宣言」が議会に上程され、過半数の賛成で議決されました。私を含めた複数の議員は、「共生宣言」より、「撤去宣言」を下すべきではないかと意見を述べましたが、新しくできた宣言が優先するので、自動的に撤去宣言は効力を失う、との理由と、先人の闘いの歴史を尊重するとの理由から「撤去宣言」についてはそのままになりました。
ところが、先日、伊丹市の例規集を改めて見てみると、「撤去宣言」は削除されており、市のホームページでも見ることができなくなっていました。担当課に問い合わせると、市の例規集とは、現時点で有効な条例などを集めたものであるので、効力のなくなったものは掲載しないが、まったくどこでも見ることができないのは、よろしくないので、市のホームページの「空港室」の中に「大阪空港の歴史」のコンテンツを作り、リンクさせる、と返事がありました。
「大阪国際空港と共生する都市宣言」の存在によって、航空機の騒音と危険から市民生活を取り戻す闘いと、空港存続という苦渋の選択の歴史が無かったことにされ、今また「伊丹市のわがまま」と揶揄される原因となっていることを悲しく思います。