昨日は成人の日でした。新成人の方、おめでとうございます。伊丹市近辺では、心配された荒天もなく、おだやかな一日でした。晴れ着のお嬢さん方(親御さん方ですかね)は、ほっと胸をなでおろしたことでしょう。私の自宅は、式の会場なっている「いたみホール」へ繋がる道沿いにあるので、男子は自転車で、女子は車に乗りあって出かける様子を見ることができました。おろしたてのスーツと白いファーのショールと振袖。みなさん、パリッとした大人に見えます。最近は本当に振袖の女性が多いです。それだけ暮らしが豊かになったのかしら。
私が成人式を迎えた27年前は、年々派手になる成人式に嫌気をさして、わざわざジーンズで行ったりしたものでした。私はといえば、起きたらもう既に正午。式は終わっていました、チャンチャン。まだまだ新成人の数が多い時代だったので、市民ホールであった成人式は午前と午後の2部制だったように覚えています。成人式なんて全く興味もなく、20歳の誕生日に、選挙権がもらえるんだ、と感じたくらいでした。
毎年、各地で荒れた新成人の様子が放送されます。いやなら成人式行かなければいいのにね、って思いませんか?行って目立ちたい、まだまだ子どもだね。式をする側も、いかにしてきてもらうか、どうしたら静かにしてくれるか、なんてことに必死になっている。式の最後に抽選会があって、携帯電話の番号で当選がわかるようになっているから、携帯を使っている人が減った、という自治体もあるらしいです。そんなにまでして成人式を行う必要があるのか、私は悩みます。伊丹市では、実行委員会方式を取っているのですが、行政が考えた筋書き通りに計画がすすめられていく、と若者は嘆いていました。いっそすべてまかせればいいのに。市長を呼ぶとか、教育長を呼ぶとか、それも含めて自由に考えてもらったらいいと思います。
甘いといわれている新成人の前に立ちはだかるのは、縮小していく社会です。経済も人口も。豊かな時代にそだったからこそ、一層その辛さが身にしみるかもしれません。でも、私は若い人に期待します。私たちがかつて経験したことのない世界を担っていくのですから、その大変さは想像できないでしょう。こんな社会にした私たち大人に責任を取れ、というなら、どんなことでも喜んでしたいと思います。君たちが明日を向いて生きていってくれるなら、それだけで十分です。
おめでとう、新成人のみなさん。一つだけお願い。きっと選挙に入ってください。大人になって許されるものは、たくさんあるけれど、そのほとんどは20歳にならなくても経験してきたものばかりでしょ。選挙だけは絶対に20歳にならないと行けないのです。特に女の子たち、女性が選挙権を持つようになって、たったの60年なんです。あの時の先輩たちの苦労はわからなくても、せっかくの権利をムダにしないで欲しいです。未来を変える力は君たちが持っているんだよ。