土曜日の「野田正彰さんと語る会」は、前日の改悪教育基本法の成立を受けて、重い雰囲気を漂わせながら始まりました。国会前での闘いを終えて駆けつけてくれた野田さんがお疲れなら、同じように幾度となく国会へ駆けつけた仲間たちも失望と疲れで、よれよれでした。
野田さんは、「アメリカの押し付けだから変えるのだ、というなら、国会議事堂だって議会制民主主義だってすべて西欧のもの。理屈になっていない。旧の教育基本法(現行の、と言えないのが悲しいです)は、教育勅語を否定し、平和を作る人間は教育が作る、という理念の下に審議が繰り返され、文章は練りに練られた。改悪基本法は理念も何もない。個人の尊厳を重んじていた旧法から、公を重んじた改悪に。本当の公は、Publicであって、nationあるいはstateではない。改悪法は国民ではなく、国という形態あるいは体制のために、滅私するということを求めている。」などとお話をしてくださいました。そのことばには悔しさがにじみ出ていました。
また、野田さんは、改悪法の条文のなかに「~とともに」ということばがたくさん使われている、と指摘されました。数えること13箇所。たくさん使うことで、法律全体がとても欲張りな印象になっています。また、到底並列はできないようなものを結びつけていたり(郷土を愛する心と他国を尊重する態度)、暗黙の条件提示(教員の身分は尊重され、待遇の適正期せられるとともに(ようにしてやるから、国が言うとおりに)養成と研修の充実(をしろよ)、と読めたりするそうです。旧法とは、格調の低さ、国語としての文章の不具合、教育にかける情熱の無さ、国民に対する責任の無さ、すべての点で比較にならないほど劣っている、との指摘もありました。
会場からは、改悪反対の行動のなかで、いろいろな人と繋がることができたことが、唯一の収穫だった、旧の基本法をちゃんと生かしてなかった、現場の先生から、組合活動から、外へ向けて伝えていくことができていなかった、などと反省がでました。それを聞いて野田さんは、「ふられた彼女への強がりみたいだ」と苦笑いされていました。
とにもかくにも、教育基本法は変えられてしまった。これから学習指導要領、地方教育行政法、教職員免許法、学校法、博物館法、図書館法など、おおよそ教育に関係するすべての法律を順々に新しい教育基本法に沿って変える作業がすすめられます。今国会は今日が最終日です。関連法は次回の国会での審議になります。来年は統一地方選挙と参議院選挙があります。数の力で押し切られたら、同じ土俵に上がりたくは無いけれど、こちらも数を増やさないとたちうちできません。分かれた女への強がりでもいい、たくさんの人とつながり強くなったのだから、もっとたくさんの人に伝え仲間を増やし、これから頑張っていこう、確認し合った日になりました。
今日、新聞で大江健三郎さんが書いていました。「ついに失われてしまった教育基本法の小冊子を作って、-中略-胸のポケットに入れておく、そのようにしてそれを記憶し、それを頼りにもすることを、提案します。-中略-見えない抵抗に出会うときに開いて見る本にしましょう。」と。