今年も残すところ、今日1日となりました。毎年毎年、新聞を騒がせる、いろいろな出来事が山ほど起きますが、今年は一層その感じが強い1年でした。特に印象が強く残っているのは、教育をめぐるニュース、中でもいじめ自殺でした。
新聞で、生徒の自殺が報じられると、翌日にはまた連鎖的に自殺者が出ます。中には、報道を見る限りでは、いじめだけが原因ではないような事例もあったようですが、それでも何かきっかけがあれば、死んでしまうような、危ういところに子どもたちがおかれているのです。
私の住む伊丹市では、市長を本部長とする「いじめ対策本部」を結成し、いじめを未然に防ぎ、いじめを無くすことに向けて取り組むことになりました。その前に、教育委員会からは「いじめ緊急アピール」が出されました。(伊丹市のHPのトップから見ることができます。http://www.city.itami.hyogo.jp/)
いじめに取り組もうという、迅速な動きはすばらしいと思います。でも、いくら大人が「いじめは絶対だめ、いじめられたら誰かに相談して」と言っても、子どもたちが目にする社会にはいじめがいっぱいです。一番わかりやすいところでは、昨年の郵政民営化案に賛成しなかった自民党議員の除名と刺客を放った選挙。意見が違うだけで、議員生命が絶たれるのです。これがいじめでなくて、何でしょう。学校の職員室にはいじめはありませんか?みんなと同じことをしないだけで、仲間はずれにされる地域社会。子どもたちが何かを話そうとしても、聞いてくれない大人たち。相手にしてくれない担任。お手本がいっぱいあるのですから、こどもたちはそれに習ってしまうでしょう。いじめがわるいこと、ということを言葉としてはわかっているでしょうが、いじめがどんなことをさすのか、自分がやっていることがいじめかどうか、わかっていないと思います。
ですから、いじめアピールで、「いじめはダメ、いじめない、いじめを見たら助けてあげて」と呼びかける前に、いじめられたらどうすればいいか、それを学校で教えて欲しいのです。今いじめられて、我慢が限界に来ている子をまず救ってあげたい、そのためには、いじめをどうクリアし、死なないためにはどうすればいいかを教えて欲しいのです。たとえば、学校でいじめられていたら、「いじめられていてつらかったら、学校にこなくてもいい、学校だけが人生じゃない」ということを教えてあげて欲しいのです。学校や地域で、子どもたちを監視し、がんじがらめにするより、大人の社会がいじめをなくし、多様性のある生き方を示してあげることが、いじめで命を絶つ子どもをなくすことができるのだと思います。
最近の若いものは、とか、最近の子どもは恵まれすぎている、とか大人は言います。いい時代を生きてきた大人たちには、今の時代の閉塞感、未来に希望を持てないことが理解できないのかも知れません。子どもは社会を写す鏡です。子どもたちがちゃんと大人になれるように、私は子どもを守りたい。それは自分の子でも、よそも子でも、憎たらしいこでもやさしい子でも、すべての子どもが大人になるのが楽しみになるような、社会にしていきたい。