8月6日は、今から61年前の1945年に、世界で始めて原爆が投下された日です。そして9日は長崎にも原爆が落とされました。原爆でお亡くなりになられた数十万人の方に心から哀悼の意を捧げます。
子どものころ、原爆記念日のテレビを見て、怖くて怖くてその日から眠れなくなりました。原爆が落ちたら布団を被っていれば助かるのだろうか?木造の家ではなく、コンクリートの家だったら助かるかもしれない、などと考えました。でも、銀行の前の階段で一瞬にして水蒸気と化し、影だけを残して亡くなった方の映像を見て、そんなこと何の役にもたたない、と絶望しました。その年の夏休みは暗い気持ちで終わったのを覚えています。
あれから30年以上がたちます。再び戦争の足音がひたひたと近づいてこようとは、想像もしませんでした。私が大人になるころには、世界中から戦争が無くなって、軍隊もなくなっているだろう、と思っていたのに。イスラエルによるレバノンへの攻撃が行われています。それと同時にパレスチナへの攻撃も行われていると(報道はあまりされていませんが)聞きます。武力行使が連鎖反応のように世界を覆っています。そして、北朝鮮の脅威に立ち向かうために、普通の国のように、自衛隊ではなく軍隊を持ち、自衛権を行使しよう、敵地先制攻撃は国際法で認められているんだ、と騒いでいる政治家たち。
人類初の原爆を2回も経験したことから生まれた平和憲法。普通の国ではない、日本だからできた「非武装・自衛権の不行使」の誓い。それを忘れてはいないでしょうか?被爆国だからできること、被爆国だからしなければならないこと。それは、正しい戦争なんてないこと、武力による解決は、新たな武力を生み、子どもたちを不幸にするということ、それを訴えなければならないと思います。
私は自分の子どもや友達が戦争で死ぬのはいやです、それは「北朝鮮」の人だって、アフガニスタンの人だって、イスラエルの人だって同じはず。国のため、平和のために人が死ぬことはあり得ません。誰だって平和がいいと思っています。その平和を武力で勝ち取り守るのか、それともどんな形であっても武力を使わないで、愛でもって達成するのか。愛が武力に打ち勝つなんて、陳腐な言葉だけど、今こそ使う時ではないですか?
合言葉は「ラブ&ピース」ってね。