(2月、取締役の多様性を約束するサイボウズの新聞広告。
3月28日の株主総会で17人の取締役が選出され、うち女性は5人。)
4月1日の新聞に、世界経済フォーラムの男女格差ランキングで
日本が120位だった、というニュースが掲載されました。
1年前の順位が121位でしたので、わずかに改善したと言えるのでしょうが、
この1年間とりたてて改善に向かう取り組みをしていないのですから、
当然と言えば当然でしょう。
ただ、森発言があったことで、今後にかすかな期待を寄せたいと思います。
120位だからと言って、国内経済で何も困ることはない、
とおっしゃる方がほとんどで、そのほとんどが男性です。
日本の政治経済を引っ張ってきた方々が未だに健在で、
その方々に忖度する新たな世代の方々がいらっしゃることで、
考え方の世代交代が起きていないことが日本の実態です。
政治の世界に女性が少なくても、問題ない、
女・こどものことを最優先に政治を行ってやっている。
賃金に男女格差があっても、
男がしっかり稼げば貧困にはならない。
管理職に女性がいないのは、
管理職になる意欲のある女性が少ないから仕方がない。
こんな声が、この120位の発表によく聞かれる声です。
日本では男女平等に教育の機会が与えられているのに、
それを生かす社会で女性が活躍できていないのなら、
「教育」という投資は間違っていると言えませんか。
それなら、最初から男女別々に教育のカリキュラムを組めばいい。
そんなことをすれば女性差別と言われる、と言うのなら、
その投資に見合うように、結果の平等も求めるべきじゃないかな。
「男女が同じ能力なら、女性を積極的に登用する」という人がいます。
それに対して男性は、「差別だ!」と言います。
「優秀な男性が排除される、許せない!」と怒ります。
「男性中心の会社、男性の家事負担の少なさ、出産と育児」
という環境の中で女性が男性と同じ能力を発揮するまでに、
どれほどの努力が必要かということを分かってもらえません。
高度成長期時代から長らく男性が下駄を履かされてきたことを、
「(女性は劣るけど)男性は優れているから」、と勘違いなさっているようです。
男性に下駄を脱いでもらって、女性に高下駄を履かせて、
やっと男女が同じスタートラインに着くことができます。
男女が同じ土俵に立つ、ということはそういうことです。
男性優位の社会で、
女性は一人で生きていくことの覚悟を持たなくてもよかった面はあります。
女性は結婚して家庭に入って子どもを産み、育児家事介護を担う、
そう思ってきた女性が少なからずいることは確かです。
しかし、社会がそれを標準とすること、
つまり性別的役割分業(いくら緩くなったとしても)を前提に
構築されていくのなら、日本は豊かにはなっていかないと思います。
男女経済格差を少しでも縮めるには、
女性が一人でも生きていける力を持とう、と思うことが大事です。
政治や社会はそれをバックアップする責任があります。
私もその責任を負っています。