私こと高塚ばんこのプロフィールをご紹介します。
1959年、三重県四日市市に生まれる。妹・弟と3人きょうだいの長女。
1981年、愛知県立大学外国学部スペイン学科卒業。
1981年、スペイン語を活かして、中南米向け貿易会社就職。
1985年、結婚を契機に関西に移住、最初の住所は尼崎市。
1986年、男子を出産、1989年女子を出産。
1988年、伊丹市民となる。
1994年、貿易会社を共同設立。
1995年、伊丹市で阪神淡路大震災で被災。
2001年、伊丹市立婦人児童センター(当時は直営)に臨時職員として勤務。その後、女性交流サロンのアドバイザーとして嘱託職員となる。
2003年、現宝塚市長の中川智子氏に説得され、伊丹市議会議員選挙に立候補、初当選。
2004年、会派「はばたき」を結成。
2005年、総務政策常任委員会委員長。決算委員会委員長、予算委員会委員長。
2007年、伊丹市議会議員2期目当選。会派「いたみ未来ネット」結成、代表就任。都市防災常任委員会副委員長。伊丹市豊中市クリーンランド議会監査。
2009年、総務政策常任委員会委員長。決算委員会委員長、予算委員会委員長。
【議員を目指した理由】
貿易会社を経営している時、女性はいつも縁の下の力持ち。どれだけ頑張っても成果はいつも男性である代表に集まる。男性も女性も同じように頑張れば、同じように評価されるべき、と痛感し、市の男女共同参画情報誌「でくるいー」(今は廃刊)の編集委員になる。社会がまだまだ男性優位であることを実感し、女性が元気になるにはどうしたらいいか、を考えるようになる。女性と仕事研究所「女性職業アドバイザー養成講座」ベーシックコースを受講、終了。その後、女性を議会に送るNPO法人フィフティーネットの「バックアップスクール」を受講。政治の場に女性を送ることが第一歩だと思い、誰かを応援しようと決心。その頃、友人の友人であった現宝塚市長の中川智子氏から、「誰かを出すより、あなたが頑張りなさい」とエールを受け、議員になることを決心した。
議会での一番目の質問は「男女共同参画」について。その後も事あるごとに、女性も男性も生き生きと活躍できる社会に伊丹市がどう取り組んでいるかを問いかけている。ライフワークは女性をもっと「意思決定の場」に送り出すこと、働き過ぎ疲れすぎの男性を癒し、家庭や地域での活動の場を広げてもらうこと。
【活動】
伊丹まちづくり会議は議員になる前から参加。今年で第9回を迎えるストリート落語は第1回から実行委員として参加。学校のネット環境を整えるネットデイを応援する「伊丹ITクラブ」でも活動。憲法9条を守る活動、反戦平和活動にも積極的に参加。いたみ9条の会、イラク戦争反対の関西の大きな活動である「3月行動をよびかける女たち」に参加。慰安婦問題の早期解決を求める阪神連絡会にも参加。日本にある朝鮮学校の応援し、「伊丹市日朝議連」「日朝県民会議」にも参加。最近では、環境問題を考える「猪名川ヒメボタルの会」で、ヒメボタルの観察会や調査活動も。
【私生活】
家事関係が大好き。掃除、洗濯、料理。どれも大好き。特に料理は食べてくれる人がいれば、力が入ります。スペイン料理のパエリャは得意中の得意。友人からプレゼントされたパエジェラ(パエリャ専用の鉄鍋)はを使って本格的に作ります。裁縫、編み物、和裁、着付け、生け花もこなします。
好きなことは、ドライブ。ガソリンが貴重な今、自粛していますが、きままに足の向くまま気の向くままに車を走らせることが好きです。歩くことも好き。細い路地や裏道に、ハッとするような景色を発見するのが大好き。友人とワイワイと語り合いながら、お酒と食事を楽しむことも大好きです。
次は、伊丹市にかける思いについて書きます。