労働運動をされているある方から、「伊丹市にお住まいなら、高井としをさん御存じですか?」
と紹介されたのが、この『わたしの「女工哀史」』でした。
映画「あゝ野麦峠」で知られる、戦前の紡績業を支えた女性たちをいち早く描いた
「女工哀史」の著者の妻であった「高井としを」さんの自伝です。
自身も、岐阜から大垣の紡績工場に働きに出て、極悪の労働条件下で働き、逃げ出し、働き。
職場改善を訴え、実現し、追われ、求め、子を生み、育てた、という人生を送られました。
終戦を西宮で迎え、その後伊丹市に引っ越して、戦災寡婦や戦災失業者の社会福祉を求めて、
伊丹市に交渉を繰り返したそうです。
女性だからといって賃金が安いのはおかしい、
働かねば食っていけないのに子どもを預けるところが無い、
健康保険が欲しい、と訴え続け、ひとつひとつ実現させていった。
活動家と言う前に、人間であり母として当然の行動なのだけれど、あの時代によくぞ、と思います。
終戦直後の伊丹市の開拓の様子が見られる記述もあります。
こんなすごい人が伊丹にいらしたことを知りませんでした。
彼女のことをもう少し知りたいと思います。