橋下大阪府知事の「伊丹空港は要らん!」発言は、橋本府政の傍観者だった私を、いきなり当事者の怒りの渦中に引きずり込んだ。
伊丹空港は、ワードで変換すると「痛み空港」と出るくらい、伊丹市民に痛みを押し付けてきた空港だったと聞く。昭和39年のジェット機就航以来、飛行機の騒音に悩まされ、まさに血を吐く思いの日々を送った伊丹市民や周辺市の市民の我慢の上に今の関西圏の経済発展が遂げられたのではないか。飛行機が離発着するたびに、人々の会話は妨げられ、学校では授業が中断し、体を悪くした人は後を絶たなかった。関西国際空港ができたあとも、国は存続協定を結び、日本経済の発展のためには無くてはならない空港と位置づけたのではなかったか。今年、やっと飛行機の騒音から人々の安らかな眠りを守る防音壁ができた。空港と共生する都市宣言をかかげ、空港を活かしたまちづくりにとりかかろうとしている犠牲者の努力も気持ちも踏みにじる発言には、腹立ちしか覚えない。
伊丹市民は願って空港を残したもらったのではない。国の交通行政を方向性を認めただけだ。もし、伊丹空港を廃止したとしても、関西国際空港の利用者が増えるとは思えない。いっそう新幹線の利用が増えるか、大阪経済が没落するか。県庁所在地は大阪市から岸和田市あたりに移転するか。アジアなどの近距離国際便の復活を望む声も相変わらず強い。国が廃止を決めるなら、それも甘んじて受けなければならない時が来るのかもしれない。そのときは、大阪空港跡地に副都心を、という構想が実現するかもしれない。その方が、阪神地域の活性化になるのだろう。