ハルモニの話
現在80歳。生まれ故郷はピョンヤン。
13才のとき、工場に就職できる、という話を聞いて、
そこで技術を身につけることもできると期待して、
家族に告げる間もなく、ついて行った。
「工場」は、家の中に人がいるだけの、何もない場所。
軍人がはいってきて、「おとなしくしろ!」と言われ、
泣き叫んだら殴られた。平手ではなく拳で。
悲鳴をあげたら「死にたいのか。」と言われ、容赦なく殴る蹴る・・・
13才の少女である。わが身に起こったことを信じきれず、
泣き喚いて、その度に殴られた。どんなに泣いても
誰も助けてはくれなかった。
日本の軍人たちは、自分の欲望を満たすまでは、決して
部屋から出て行ってくれなかった。
皆さんの前で語るにも恥ずかしい話である。
なぜ私は今、こんなことを話しているのだろうか。
私が体験した、全てのことを語りつくすことなど、とてもできない。
けれども今こうして、世界中のいろいろな国を訪ねて、
そこでかつての自分の体験を話して歩いている。80歳を過ぎて、
自分の体は悪いところだらけ、もはやボロボロである。
私には子どもも親戚もいない。
正義を、そして平和を。戦争のない世の中を、求めて叫んで歩く。
戦争のない国を作らねばならない。
戦争が起これば、必ず、私のような目に会う人ができるからです。
その思いひとつ。
日本では、戦後60年経って、その間に、何度も首相が交代しましたが、
慰安婦の問題には、一度も誰もきちんと取り組んだことがない。
あったことをなかったことのように放置しても取り繕っても、
なにも解決はしない。
「救済」だなどと恩を着せてお金を握らせて、「対応」しただのと、
そんなお金は、私は受け取れない。
私は一人や二人の個人に強姦されたわけではない。
こうして恥ずかしい姿をさらけ出してお話するのは、
日本政府としての公式の謝罪を求めるのである。
数千人、数万人の人生をダメにした、踏みにじった、さらにそれを
そのまま放ったらかしにした、それに対し、日本は国として、
きちんと法律を作り、それに基づいて賠償せねばならない。
戦争だったのだから、仕方なく犯した罪だというなら、
それを犯した人が反省できないというのは、とても恥ずかしいこと。
罪を罪のまま、後々の世代にまでずっと残しておいてはいけない。
「自分がやったわけではないのだから、知らない。」
日本の歴代の首相はそうとでも言いたげである。
歴史の中にちゃんとあったことは、決してなくなるわけではない。
けじめをつけるべく、ちゃんと取り組んでほしい。
私たちの仲間は、みな高齢だから、毎年十数人ずつが亡くなっていく。
けれども皆が死んでしまっても、問題の解決になるわけではない。
問題は次の世代に持ち越され、日本には恥が残るだけのこと。
ここに集まった方々は、多分、それぞれが正義や平和への思いを持って
参加されたことと思う。謝罪と賠償の意義を日本人から日本人へと
伝えて欲しい。あなたたちから日本の政府に言ってください。
女性には月に一度、生理の日がある。そんな日でも、
容赦なく相手をさせられてきた。
床が血で真っ赤に染まっても、休ませてもくれない。
体を洗う余裕すら与えてくれなかった。
どういうことか、想像してみてください。
すでに多くの仲間たちが、日本からついに謝罪を受けることのないまま、
亡くなっていった。
皆さんの力を借りたい、一人でも多くの仲間が生きているうちに。
◎「慰安婦」被害者の尊厳を私たちの手で回復しよう!!
友人の黒うさぎさんがまとめてくれました。