立秋を過ぎましたが、最高に暑い日が続いています。世間は盆休みということで、高速道路やショッピングセンターも休日並みの混雑です。カレンダーでは休日でも何でもないのですが、この時期の休暇というのは、気候も手伝ってかなり一般的ですよね。できれば、欧米並みに2週間は欲しいところです。
お盆休みといえば、終戦の日を忘れてはなりません。8月6日の広島原爆の日から日本のメディアは一斉に戦争を取り上げます。ドラマやドキュメンタリー、歴史研究などなど、悲惨な光景と証言が繰り返し報じられます。また、今年は「ひめゆり」「ヒロシマナガサキ」「TOKKO]といった、当時を知る方々の証言を中心にした映画が上映もされています。原爆被害者の平均年齢が74歳を超えるなど、戦争の悲惨さを訴える人たちも次々に鬼籍にはいられようとしています。安倍首相が「憲法を変えて戦争に行こう!」と平気で言えるような時代だからこそ、どんな戦争もあってはならない、ともっと強く訴えることが求められていると思います。また、私たちも単なる視聴者ではなく、自らが平和を求め、戦争に反対をする声を上げていかなければならないと思っています。
そんな中で、ときどき感じることがあります。それは、戦争の悲惨さだけを訴えて、戦争反対を理解してもらうことがとても難しくなってきているということです。おばあちゃんやおじいちゃんの口で語られても、映像を見せられても、この今の社会からは到底想像できないのです。原爆で周りの人たちが焼け焦げて死に、その屍が山をなしていた、とか、食べるものが無くて蛇やカエルをも生で食べた、など、子どもはおろか大人でさえも、絶対ありえない、と思ってしまいます。生き証人が絶えていき、悲惨さを伝える人たちがいなくなったとき、反戦平和運動は新たなステージをむかえるのかもしれません。
戦争の悲惨さを訴えるのではなく、平和の尊さ、素晴らしさを訴えて、この地球上から戦争と武器をなくする運動ができないものかと、考えています。