先週の月曜日に容体が急変し、
11月12日に生涯を終えました。
前日夜半から意識がなくなったとの連絡を受け、
早朝車を飛ばして、入院先に駆けつけました。
荒い呼吸で死と戦っている父に会えたのもつかの間、
待ってくれていたかのように、20分後には呼吸が止まりました。
呼吸が止まる前、一瞬目を開け、こちらを見て、
何かを言いましたが、声にはなりませんでした。
私には、「みんなありがとう」と言ったように思えました。
几帳面な父は、遺言書とも指示書ともいえる文書を残しており、
その日付は11月8日、88歳の誕生日でした。
そのころには、呼吸が苦しく、がんによる全身の痛みから、
自身の余命が幾ばくも無いことを悟っていたのでしょう。
遺言通り、どこにも知らせずに、
母、3人のこどもと4人の孫、1人のひ孫、
妹の配偶者と甥で見送りました。
ただ、私は本会議、常任委員会を欠席させていただきたく、
議会事務局に連絡を入れましたところ、
市長をはじめ、市役所の各部署の皆様から、
供花、弔電をいただきました。
まずもって、こちらで謝意を表したいと思います。
生前、お世話になった皆様方に、
父に代わりまして、心からお礼を申し上げます。