今年も、あと数分となりました。
年々と時間が経つのが早く感じます。ついこの間、お正月を祝ったと思ったのに、もう大みそか。
この1年、お世話になったすべての皆様に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
どうか、よいお年をお迎えください。
« 2009年11 月 | メイン | 2010年1 月 »
12月議会では、尼崎市が市営住宅の入居者に対して、ペット飼育禁止にも関わらずペットを飼育し、迷惑行為を起こした場合には立ち退きを求めることができる、との条例規則改正を行ったのを参考に、伊丹市での現状を聞きました。
尼崎市に先んじて、迷惑行為を起こした場合は退去を求めることができるとしており、それはペット飼育も含むとのことでした。ご多分にももれず、市営住宅でペット禁止にも関わらず、飼育している人は多数いるかもしれないが、現状はわからない、また、尼崎市ほど迷惑行為の連絡がない、とのことでした。もちろん、市営住宅はペット飼育禁止ですから、飼ってはいけないのですが、ようような理由で飼っている人はいます。
誰かから仕方なしに譲り受けた、市営住宅に入るまで飼っていて、誰にももらってもらえなかった、捨て猫や捨て犬を見るにしのびなくて連れて帰って、そのまま飼ってしまった、などなど。
ペットは家族という人が増えている現在、規則だからと、捨てなさい、というのは、動物愛護法にも反します。また、昔は野良犬が多かったのですが、最近では捨て猫が多く、捨てた人が罰せられるのではなく、拾った優しい人が辛い目を見るというのも、理不尽に思います。とにかく、ペットを飼っている人のマナーの向上がまず、大事。飼ったペットは家族同様、最後まで面倒をみる、捨てない、いじめない、これに尽きます。
今年の夏、捨て猫を保護した知人から、譲り受けてくれた友人に愛のリレーがありました。お礼の言葉と共にかわいらしい写真もおくられてきて、温かい気持ちになりました。
「日本軍」従軍慰安婦の早期解決を求める意見書を国に提出した宝塚市議会に対して、右翼団体からの圧力と暴力が続いています。先月は大島議員の事務所前で、彼女や宝塚市議会を侮辱する暴言を吐き、果てには大島事務所に詰め掛けて、看板を倒すという暴力も働きました。その行動はとどまるところを知らず、朝鮮学校にまで及んでいるとの報告がありました。長文ですが、読んでください。
**** 以下転送可 ****
私は朝鮮第一初級学校に二人の子どもを通わせている 保護者の金と申します。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが 先日4日に名前を言うのも忌まわしいようなレイシスト(人種差別)団体が 京都朝鮮第一初級学校のすぐ前で騒乱を起こしました。 http://corea-k.net/date/000.wmv 今まで生きてきてこんな腹立たしく悔しい思いをしたことがありません。 学校の前で子どもたちに聞こえるように
「スパイの子どもたち!”“朝鮮学校を日本からたたきだせ!」などと
人として信じられない暴言を拡声器の爆音をもって騒ぎ立てました。 子どもたちはおびえて、中には涙を流すこどもたちもいたそうです。 私が悔しい、腹立たしいと思ったのは、何もその団体に感じたことではありません。 朝鮮語のことわざに“糞を避けるのは怖いからで無く汚いからだ”という言葉があります。 私が本当に許せないのはこのような事態が許されている“この社会の規律と良識”に感じています。 当日警察も子どもたちがおびえてるにもかかわらず“自分たちは間に入っている立場”とし 制御しようともしない。スピーカを校門のまん前で校舎に向けて騒いでるにもかかわらず 禁止させない。 これが言論の自由ですか?法や警察はこどもを守ってくれないというのがむなしくてたまりませんでした。 自由使用の公園なのにも関わらず“不法占拠”とののしり、地域の方々も使っているゴールポストを 動かしたり、利用する子どもの安全のために設置されたスピーカーの線を切り、朝礼台と一緒に 校門前に投げつける暴挙。 器物破損ではないのですか?強制執行は一般市民に権限があるのですか? 子どもたちがおびえ、泣いているのに脅迫罪ではないのですか? そこにいる個人や団体を誹謗中傷し侮辱罪ではないのですか? 日本は多くの先進国が批准している人種差別撤廃条約に加盟してないから許されるのですか? そこに駆けつけた私たちは声がかれるまで警察に訴えたのに取り合ってくれませんでした。 私は学校に駆けつける前に、某大学で人権教育の招かれ、“人権とこどもの学ぶ権利”を物知り顔で語っていました。 このときほど“人権と子どもの学ぶ権利”が虚しく聞こえたときはありません。 私はこの問題が一部のレイシスト集団の問題ではなく、それを許容する日本社会の“良識”を問いたいです。 たしかにこのような集団は日本人の一部かもしれません。 「日本人は悪い人ばかりではありません。信じてください」とおっしゃりたい方もいるでしょう。 そういう意味では日本の方々も被害者かもしれませんが、今回の問題の本質ではありません。 明確にこのような事態が起こったことは、これが許されたことになると思います。 いまこそ“日本社会の良識”にとうべきだと思っています。 いままで本当に悔しい思いをいっぱいしてきましたが、もうたくさんです。 今後このような事態が起こったとき、また私たち朝鮮人は門扉の前で歯を食いしばり、血の涙をのみながら 我慢に我慢を続けないといけないのでしょうか? 正直に今回子どもたちに“守ってやれなくて申し訳ない”との考えが頭を離れず 夜も悔しくて眠れませんでした。 無くなった祖父母や一世たちが空の上からこの事態を見ているならば、どんな思いをしてるでしょうか? 自分たちの曾孫までもこんな仕打ちをされているのかと嘆き苦しんでいるでしょう。 長々と書きたて、最後まで読んでいただきありがとうございます。 もうこのような事態が起こらぬよう皆さんどうかこの社会を良識とあるべき姿を考えてください。。。
新図書館を宮の前に建設することについては、一貫して反対の立場を取り続けてきています。先月、60人あまりの市民のみなさんと、行動に表そう、ということになり、昨日12月5日より街頭署名を始めました。
先月23日には、先立って街頭宣伝を行いましたが、
「えっ! 図書館を新しく建てるんですか?」
「政府でもハコモノは止めると言っているのに・・・」
「どうすれば協力できますか?」
という声が多くありました。
新図書館建設について、市民の多くの方がご存じないか関心がない。しかし、もう新たなハコモノは要らない、今あるものを最大限活かしてほしい、という意見をお持ちの方がほとんどでした。
私は、今回の反対運動は、市民による「事業仕分け」だと考えています。
ぜひ多くの皆さんのお力を貸していただきたく、お願いします。
チラシと署名用紙は下からダウンロードできます。
先日、松江市で行われた「第41回 食とみどり、水を守る全国集会」に参加してきました。全国から700人近くが集まり、食の安全、学校給食、環境、農業・林業政策について学習してきました。
私は、2日間とも、食の安全と学校給食の分科会に入りました。講師はホームページ「学校給食ニュース」を主宰していr牧下圭貴さん。数々の食をめぐる事件が多発している例を挙げ、子どもたちに安全な食を提供するのは大人と責任。こと、学校給食は食育という面もあって、非常に重要なことを話されました。
長く健康な人生を送るには、食べるものに気をつけることが大事。わかっているけど、忙しさにかまけてなかなか実行できない自分を反省。何を食べたらいいのか。作り手の見えるもの、自分に近いところで採れたもの、命のあるもの(玄米や有精卵など)がよい、ということです。そういう理由から地産地消費、センター方式でない自校式給食が望ましいこと。中学校でも給食で、それを実践して見せることが大事だと伺いました。
全国の中学校で70%以上が完全給食を実施しているのに、伊丹市ではできていません。家庭教育のためだ、と教育委員会は弁明しますが、氏の言葉を借りると、学校給食は法律で推奨されてはいるが、義務ではないことから、それぞれの自治体どれだけ子どものことを考えているか、つまり、子どもにお金をかける気がない自治体だということになります。
私は1期目から中学校給食の実施を訴え、議員のなかでも10人以上が必要だと思っています。食の大切さを訴えながら、今後も粘り強く「中学校給食の実施」に向けて頑張っていきたいと思った学習会でした。
本日は、議会運営委員会と代表者会がありました。
代表者会の議題はいろいろありましたが、
重要なものが2点。
①協議の場としてどの会議を位置づけるかー
今は、代表者会、議員総会、正副委員長会、常任委員協議会、議員研修会、議員互助会、互助会監査などが、正式な(公的な)協議の場としてとらえられていないのです。つまり、公務ではなく任意の会議としてしか捉えられいないということです。これを、公務として位置づけると、公務災害の対象にもなりますし、議員の公務の日数としてカウントされる、かつ公開しなければならないということです。
これに対して、代表者会は傍聴者がいると自由活発に議論ができないから、公開にすべきではない、だから公的な協議の場とはしないほうがいい、という意見が、新政会、公明党の会派から出されました。
わが、いたみ未来ネットは、すべての会議は公開でよい、と考えているので、すべて正式な協議の場と位置づけてよい、と意見を述べましたが、結論は先送りすることになりました。
気になる議題のもう一点は、前にも書きましたが、
②特別委員会の中で市長が「訂正を求める」と言った発言に対して、議会としてどう考えるか、というものです。議会、委員会というのは、議会制民主主義を具体的に行う場であり、議員は発言に全責任を負っています。それを、自分の意見と違うからといって訂正を求めることができるかどうどうかということが問題でした。
代表者会では、委員会のやり取りいかんで、市長が発言訂正を求めることは可能だとする3つの会派があり、言い過ぎだという会派が3つあり、結論が出ませんでした。
議長(現在の議長がどなたかは、市議会のHPで確認できます)は、市長の言い分もあるだろうし、議員にも言い過ぎのところがあったから、議会全体としては問題にしない、会派で対応してください、ということで、と締めくくられました。
訂正を求められることが、議会制民主主義にとって、どのような意味を持つのか、理解していただけなかったことに、自分の説明のまずさを反省しております。
しかし、市民の代表として選ばれた議員が、全責任を負って発言しているものに対して訂正を求められても、問題なしとする現在の議会のあり方に、市民のみなさんはどうお考えになるのでしょうか?