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現在のごみ焼却施設は築40年。20年前の阪神淡路大震災では、煙突が折れるなど大きな被害も受けました。今年の10月には、新しいごみ焼却施設が完成し、来年1月から稼働されるそうです。古い施設の見学は、今年が最後です。新施設も、伊丹市と豊中市で共同運営します。
上の写真の赤く囲んだところが、新施設。地上10階建ての高さに相当します。手前は、リサイクルプラザ(豊中伊丹スリーR・センター)ですでに稼働しています。右手にあるのが、休業中の余熱利用施設です。新炉は、当初の計画よりダウンサイジングし、総工費200億円あまりです。右手の余熱利用施設の今後は、地元の方々との話し合いの最中だそうです。
リサイクルプラザの手選別の作業を、知的障害の方が担当されています。危険、臭いもきつい、暑い(夏になればいっそう!)、ひと時も手を止めることなく、お仕事をされていました。
ここを見学させていただくと、自分のごみの出し方を深く反省するきっかけとなります。可燃ごみ、不燃ごみは、手分類されることなく、パッカー車からごみピット(ごみを集める大きな槽、といえばいいかな?)に投入され、クレーンで焼却炉に運ばれたり、破砕機にかけられたりしますので、量にだけ気をつければOKです。問題は瓶、リサイクル容器包装、缶です。リサイクルですから、あくまでも資源として使えるものでなければならないわけで、その資源を手作業で再度ここで分別していただいています。コンベアーに流れてくる(資源と思って出された)ごみの中から、資源にならないものを取り除いていくという作業です。
瓶の選別では、中身の入ったままのもの、ガラス製の置物、割れた窓ガラスなどがはじかれます。缶では、中に石ころや砂が入っていたり、煙草の吸殻が入っているものは、はじかれます。一番大変なのが、リサイクル容器包装です。たとえば、お弁当の容器。残飯が入っていたり、ソースが付着したりしているものは、回収の過程で腐ったり、虫が湧いたりした状態でコンベアーに流れてくるそうです。生魚がのっかっていた食品トレーも、そのまま洗わずに出されていて、夏は特に臭いがハンパないそうです。平成24年から、プラスチック製品は可燃ごみとして出すようになりました。ですから、汚れていたり、中身の残っているもの(マヨネーズの容器など)は、迷わず可燃ごみへ出してほしいと言われました。ちなみに、資源ごみ(まず、ごみ、というのが間違いの元!)のうち、10%が資源不適物だそうです。お仕事されている姿を思い浮かべると、リサイクル容器も瓶も缶も、ある程度綺麗に洗って出さなければ、と固く心に誓いました。
自分一人のごみの量は大して気にもならないかもしれませんが、施設見学をさせていただくと、その量の多さと処理費用の額にびっくりします。子どもたちは小学4年生くらいの時に社会見学がありますが、大人の方の見学は少ないそうですよ。私も見学会を企画したいと思います。一緒に行きましょう!
前にも書いたことがありますが、伊丹市は競艇の開催権を持っています。競艇場は、尼崎市にありますが、そこを借りて、伊丹市主催のボートレースを年間50~60日開催しています。
ギャンブルに公金が使われる、ということに抵抗を感じる方も少なくないと思いますが、ギャンブルを公で行う理由は、①賭博行為に伴う収益を公的主体が独占できること、またこれが法目的そのものであること、②公的主体が担うことにより、限りなく不正を防止することが可能となり、公正さ、透明性を担保することができること、③悪や組織悪の介在を防ぎ、健全な賭博行為を国民に提供できる可能性が高まること、④射幸心を煽る行為を自制的に管理できることなどという理由(IR*ゲーミングコラム‐5.公営賭博はなぜ認められるのか、より引用)、だそうです。また、公営賭博の多くは、昭和20年代後半にスタートし、その目的は財源不足を公営競争の上がりで埋める、ということでした。実際、伊丹市がボート事業から一般会計に繰り出しをした累計額は、700億円を超えます。リーマンショックの直後売上が落ち、繰り出しが0円の年もありましたが、昨年で5億円、今年は2億円の繰り出しが見込まれています。
今日の視察は、公営競争を管轄する都市企業常任委員会に、新人議員が研修としてお伴させていただきました。平日、それも予選とあって、お客さんの数は多くはありませんでした。私は、元手200円で最初予想があたり手元金が増えたものの、その後のレースは外れ、結局0で終了。出資は200円のみという結果でした。
公営ギャンブルの是非はありますが、伊丹市の事業として行っている以上、事業不振で赤字補てんが必要になるのは、困ります。ただ、競艇場に来ている多くの方がそれなりのお年の方で、早かれ遅かれ今の売上水準を維持することは難しくなるでしょう。その時に、事業廃止をするのか、民間に委託するのか、判断を迫られる時期が来ることは確かです。
決してお勧めをするわけではありませんが、スポーツ観戦として見れば結構面白いと思います。
無言館は、長野県上田市にあります。いつかは行きたい、と思っていましたが、遠いのでなかなか行く機会に恵まれませんでした。今回の展覧会は丹波市、近い!ほどではありませんが、それでも上田市よりは近い。最終日に行ってまいりました。
展覧会のチラシには、こうメッセージがあります。(館主の父親は、作家・故水島勉さんです。)
今年は戦後70年。
私たちは今、あらためて「あの戦争」の意味を問い直す時にきているようです。
(中略)
どの画学生も、出征する直前まで絵筆をはなさず、愛する妻や恋人、敬愛する父や母、可愛がっていた妹、幼い頃あそんだ故郷の山河を描いて戦地に発ってゆきました。
ここにあるのは、かれらの生命と才能を奪った戦争のもつ不条理さ、悲惨さの記録であるだけでなく、そんな時代下にあってもけっして「絵を描くこと」への情熱を失わなかった若者たちの、忘れてはならない「生の証」であると思います。
(後略)
戦没画学生慰霊美術館「無言館」
館主 窪島誠一郎
上田市の無言館に展示されている作品の主は、92人とか。素晴らしい才能をもった画家の命が失われ、その才能が世に開花することは無かった。もし、彼らが生きていたら、日本の画壇はどう変わったのか。日本の芸術界は、日本の社会は、どれくらい豊かになっていたのか。想像するだけで、残念でなりません。
それは、画学生に限ったことではありません。作家を志した若者、音楽家を志した若者、政治家を志した若者、親孝行をしようと志した若者、たくさんの若者の命が奪われた。日本だけでなく、アジアの各地で、奪ってきたことも事実です。
戦争には、若い男性が駆り出されました。未来ある若者たちの命と引き換えにしたものは、再び戦争をするような日本では無かったはず。日本の若者の命が奪われなければ、それでいいのではなく、世界中のどこにおいても、戦争で人の命がたやすく奪われることがあってはなりません。
今、整備が急がれている安保法制、日本のみならず世界中から戦争の惨禍を無くそう、という気持ちで反対しなければ、という思いを強くしました。
伊丹市荻野8丁目にあります、消防局の訓練場が新しくなりました。これまでの、仮設のような訓練場から一転、建設物として、立派なものができあがりました。これで、訓練も安心して行われます。
7月にポートアイランドで行われる、第44回消防救助技術大会に向けて、訓練を積んだ隊員の皆さんの技術を目の当たりにすることができました。
(皆で気持ちをひきしめているところは、体育会系のノリ。引き締まった体の持ち主ばかりです)
(地上7メートルの所に張ってある一本のロープを往復するのに、20秒もかかりません)
(チームワークが試される「ほふく救助」、煙道の先に倒れている人を助けます)
体力・技術・迅速性・チームワーク・状況判断、どれが欠けても、要援助者、援助者に危険が及びます。新しい施設で訓練を重ねていただいて、現場でも大会でも頑張ってくださることを期待します。
とはいえ、本番の出番が無いに越したことはありません。
追記:ずっと懸案事項だった、県水の配水施設もすぐ隣に建設されました。また、耐震強度不足による「市立荻野保育所」も、この地に建設中です。どんどんと新しい施設が整備されていることに、ちょっとびっくりしています。
7月1日、夏祭りの季節の到来を告げる「愛染まつり」が、今年も伊丹市宮の前の金剛院さんで、開かれました。愛染さんといえば、大阪の三大祭りの1つの、四天王寺の愛染堂症勝鬘院が特別有名ですね。大阪では、愛染娘を乗せた宝永籠を担ぎ、パレードも行われます。伊丹の愛染まつりでも、かつては宝永籠行列があったとか。
梅雨真っ最中のお祭りですから、ほぼ毎年雨なのですが、今年は午前中に雨が上がったものの、地面はぐじゅぐじゅ。それでも、今年初めての夏祭り、浴衣を着た女の子もいて、とてもたくさんの子どもちゃんたちがお参りに来ていました。
私は、数年ぶりに伊丹商工会議所・女性会のメンバーとして子どもたちが楽しめる、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい、くじ引きのお手伝いを、ちょこっとさせていただきました。(仕事が5時くらいに終わったので、急いで駆けつけましたが、ピークは終わったとのことで、大したお役にも立てず・・・)
7月に入ったとはいえ、夏になりきっていない頃のお祭りは、しっとりとして、懐かしいような悲しいような、不思議な感じです。
ご無沙汰をしていた方々にも会え、とても楽しい一夜でした。